個人レッスンを受けながら思ったんだけど、先生に相手をしてもらっていると上手く打てても他の人と打つとそうはいかないことが多くて、そう言ったら綺麗な回転がかかっているから打ちやすいんですよと言われて、むしろそっちの方が特殊でいつもの不規則or半ナックルの方が普通だとしたら綺麗な回転相手にいくら練習しても駄目だろうから今のバランスが丁度良いのかもと思ったり思わなかったり。
 だいたい卓球教室の99.5%を占めるアクティブシニア?の方々は、上手な人はほぼペンで前陣だろうが何だろうがしょっぱなから回転をかけてくるし、そうでも無い人は回転数の少ないミート打ちがほとんどで当てるだけでは反発しないので自分から振らないとネットも越えない。
 卓log会のメンバーのような中高部活でやってて今でもばりばり頑張ってます的な人は確かに綺麗な回転をかけてくるが今度は勢いがありすぎて必死にならないと返球もままならない。
 自分と同じかちょっと上手な人くらいと練習をするか、お金を払ってコーチングに徹してくれる人に教えて貰うのがベストなのだろうけど、継続するのはなかなか条件的に難しいんだろうね。
 卓球は入り口が広いようで狭いのは相手との距離の短さ=応答時間の短さが原因だと思うのだけれど、瞬間的に判断しなくてはいけないことが多すぎて、部活動のような反復練習を嫌になるくらい出来る環境に身を置いて体に染みこませないとにっちもさっちもいかない。にっちはニッチ?さっちって何だ?
  個人レッスンも非常に有益で上手になる鳥羽口にはなるけど、たいてい「後は反復練習して身につけてね」みたいに言われて終わるので、その反復練習する機会を作るのが難しいんだよなと思うが言っても仕方が無いことなのでそれは言わない。

 自分から見たら遥かに上手な人も自分で上級者と思っている人は少なく、どこまで行っても上がいて切りが無いんだろうなと推測されるが、 結局何を目標にするか、なんだろうなあ。
 一番最初に始めたときは教室の方々や妻とフォア打ちを続けて出来ることが目的で、 それが出来るまでもずいぶんかかった。
 その次はドライブを打ちたくて試行錯誤したが、これは1年2年では達成されなくて、4年くらいかかった気がする。ループドライブとかちょっと打てるようになったのもほんのつい最近のことだ。ここ半年くらい自分としては急激に進歩していると思うのだが、それはユーウェルク卓球場の個人レッスンのおかげで、改めて振り返ってみればほとんど他の人に教わった経験が無く、ネットの動画や数々の卓球入門書を参考に亀ごとき歩みで来たわけだが、もっと早くきちんと教わっていればもう少し上達のスピードは早かったかもしれない。
 ツッツキ打ちドライブなど本当に苦労して、今でもあまり自信が無いが、この練習になると嫌で嫌でしょうが無いくらいどうにもならなかった。この突破口はネットで配信されている動画だったので、色々アンテナを張ってあれこれ試して見ることは無駄では無い。
 これと同じ事は全国の中学校部活動において見られると思うのだが、指導者不足というか、教える技術と熱意を持った人材が圧倒的に少ないのが卓球界の問題だろう。
 上手な人が良い指導者では無く、教えるのが上手な人が良い指導者だろうし、その上熱意を持った人となるとさらに少ないんだろうなあ。

 卓球を始めた頃からカタログを見るのが好きで、ラバーやラケットをあれこれ試して見たいと思っていたが、それは今でも変わらない。変わらないのだが散々試した結果使わなくても何となく想像できるようになってきたのは我ながら面白い。ちょっと失敗だったのはこんなに長く続けるとは思わなかったので、性急に事を進めすぎてしまった結果、一つ一つのジャンルをじっくり吟味する姿勢にかけていたというか、どれも中途半端なまま通り過ぎてしまったというか。いやきっとこの一見無駄に思える経験もいつかきっと役に立つはずということにしておこう。
 不思議なのは軽く打ち合っている時はラバーやラケットの違いが気になってすぐに嫌になってチェンジ!してしまうのだが、個人レッスンのようにみっちり練習しているときは用具の差異はあまり気にならなくて、むしろどのラバーでも同じように良く感じてしまう。その上で違いがやっぱりあるのだが、用具のレビューをするなら相当使い込まないと無理だなというのは分かる。なので今レビューができるとしたらラケットならアルバ、ラバーならQ3とヴェガアジアDF、テナジー25FXくらいで、それでもまだまだ不十分だと思われる。なので用具のことについて書くことがあったとしてもあくまで読み物としてにすぎないことはご承知頂きたい。
 
 練習が上手くいかなかった日は気分矢印が下向きになって早く何とかせねばと焦り、上手くいった日は気分矢印が上向きになり多方面性積極的心理状況(偽躁状態?)になって早く次の練習をしたくなったり異なる用具を試したくなってそわそわしだす。
 そうして卓球を始めてからずっとそわそわしているのだが、なかなか生活に張りがあって良かった事よと前向きに考えることにしている。