ラバーを貼るには理由はいらない。
 貼ったのか、貼らなかったのか、それすらも曖昧なままだ。
 気に入ったラバーを貼ることもあるし、なぜそれを選んだのか不明な事もある。
 君はその理由を人に言っても良いし、言わなくても良い。
 結局のところ全ては自分の中にしか、無いからね。
 
 ラバー貼りを趣味にしている人がいるなんて、にわかには信じられないけど、でも現実には存在するし、その人にとって趣味とは何なのかを問い詰めるような無粋な真似はしない。
 例えばラケットからはみ出したラバーが気になって仕方が無いなら、それをハサミで切るのかカッターで切るのか、選ぶのは君自身だけど、僕だったらなるべく小さいハサミで切ると思う。
 そのはみ出した部分が人生にとってどういう意味があるのかなんて、誰にも分からないし、切り取っても良い部分など本当にあるのか確信が持てないからだ。

 そうそう、ラバーの話だった。 
 全ての卓球を愛する人が、卓球に愛されているとは限らない。
 君はそう言ったよね。
 けれども新品のラバーを包む透明なセロファンをそっと破って、閉じ込められていたしっとりと柔らかなゴムのシートを取り出すときだけは、あの暑く湿った夏の日の教室に満ちていた喧噪とか、ちょっと喋っただけの隣の女の子が着ていた夏服の白さとか、いつもなら忘れているような記憶が微かな匂いと共に立ち上ってくる。
 呼吸をするように湿り気を帯びて、いつもより重くなったラケットを握っていると、体育館へと繋がる渡り廊下を早足で歩いている中学生の自分がそこにいる。
 入部が決まってすぐに、駅前のスポーツ屋で買ってもらったあのラケットは、なんていう名前だったのか。
 最後の試合で負けて、ゴミ箱に放り込まれたまま、今はもう存在しないあの日の部屋で、今でも眠っているのかもしれない。
 まるで切り取られたラバーの切れ端のようにね。








 って私、サッカー部じゃん!