「物語は風呂敷を広げているときが面白い」と言っていたのは夢枕獏だったか。
 怪しく魅力的な人物が次々と登場し、 胸躍る伏線が張り巡らされていき、様々な因縁が絡み合ってドラマが動き出す。結末を知っている書いている本人ですら、次はどうなるのかワクワクしながら書いているのが伝わってくる。
 ところが結末に向かって物語が収束し出すと、大きく広がった風呂敷を畳むことに精一杯で、途端にスケールダウンしていく。読者も肩すかしを食らってがっかりだが、多分作者も必死なだけで楽しんではいない。それでも最後まで書き切れれば良い方で、途中で投げ出されたまま放置のケースもある。
 ベクトルを保ったまま最後まで仕上げることが出来るのがプロの作家だということだろう。
 
 卓球の用具で言えば、とすぐに卓球の話にしてしまうのだが、与えられた用具から次のステップに移行する辺りが一番ワクワクしていた。
 メーカーのカタログを見れば魅力的な製品が並び、ネットで調べれば心躍る試打動画の数々。卓球王国の新製品紹介ページに胸ときめかせ、WRMの繰り出す蠱惑的な宣伝文句に心かき乱された日々。失敗しないように一生懸命下調べをして、国際卓球のセールでラバーを買った時の高揚感。
 そのうちカタログスペックだけで自分に合う合わないくらいは分かるようになってくると、当初のドキドキ感も薄れてきて、以前ほど熱心に新製品を追わなくなってくる。
 その状態になってからも探求をやめないのが用具マニアだろうか。

 用具だけでは無い。技術も同様で、最初はミスばかりだったラリーが続くようになり、ツッツキの感覚を手に入れ、ドライブが打てるようになると練習も楽しくなってくる。
 技術動画を見て研究し、個人レッスンに通って指導を仰ぎ、卓球教室で技を披露して得意げな顔をする。
 他の人と試合をするようになり、それっぽいサーブも出せるようになって、勝ったり負けたりしている段階が楽しい時期なのかもしれない。
 そこから上の段階、つまり試合に勝ってより上位の大会を目標とし、大会に参加するだけでは無く優勝を目指して練習を積み重ねるようになると、楽しいだけではやっていけなくなる。
 ギチギチと肉体と精神を締め上げて、試合当日に最高のコンディションになるように調整し、それでも敗北したときはメンタルがボロボロになり、そこからまた這い上がって次の大会に向けて練習を再開していく。
 それが競技者というものだろう。 

 いつまでも風呂敷を広げ続けるような、そんな卓球ライフを送りたい。