私を卓球の道に引っ張ってくれたのは妻でした。
 ブログを遡ってみると、私は1994年から卓球を始めたようなので、あれから6年も経ってしまったのですね。
 妻はその1年前から卓球を再開しました。
 7年前ですから私も妻も40歳になったばかりだった事になります。
 中学から高校にかけて卓球部員だった妻は、一応卓球経験者とは言ってましたが、あまり積極的に話したことはなかったように思います。
 卓球経験者であることを大っぴらに言えなかった時代があったことは、多くの方に賛同していただけると思いますが、妻もその1人でした。
 子供が小学校に上がり、育児に費やされる時間が減ってきて、ようやく自分の時間が取れる、丁度そういうタイミングで、妻は仕事と卓球を再開しました。
 つい昨日のことのように思い出せますが、卓球の出来る場所をあれこれ探していた妻は、県が主催の卓球教室を見つけてきて、さっさと1人申し込んできたものです。
 その頃の私は卓球など興味が無く、数年前までやっていたテニスを再開しようか迷っていたくらいで、毎週いそいそと卓球教室に出かける妻を何の感慨も無く見送っていました。
 もちろん妻も私を誘ったりはせず、学生時代使っていたラケットを実家から取り寄せて練習を継続していました。
 さすがにラケットもラバーも古びていて、買い換えの為に国際卓球高田馬場店に行くというのでくっついていったのですが、当時全く卓球に興味の無かった私にとって卓球専門店など未知の世界であり、店員にあれこれ専門的(に思えた)な質問をしている妻の邪魔をしないように、離れた場所でじっとしていました。
 まさかその後何十回も1人で通うことになるとは、誰が予想できたでしょうか。自分でもびっくりです。
 確か妻はコクタクの反転式ラケットを買っていたように記憶しています。
 妻が卓球であれなんであれ、運動を定期的に行っているのは健康維持のためにも良いことだと、私はそれくらいの認識でいました。
 一方妻には妻なりの目論見があり、なんとかして卓球の練習相手を家族の中に育てようと考えていたようです。この考え方も多くの方にご賛同いただけることと思います。
 徐々にではありますが、妻が楽しそうに通っている卓球教室に興味が出てきた私は、1年後に娘と一緒に同じ卓球教室に入会することになりました。
 全くの初心者である私はまともに打つことも出来ず、休みのたびに妻に相手をしてもらい、地元の卓球場で練習をしました。
 自分で引き込んだ手前、妻も断りにくかったのでしょうか、仕事帰りで疲れているにも関わらず、よく付き合ってくれました。
 今思えばあの頃の妻はまだ若かったのでしょう。
 卓球教室の他に卓球サークルも見つけてきて入会し、私との練習以外に週に3回以上練習して、試合にも参加していました。 
 
 私と一緒に始めた娘が部活を引退するころには、妻の健康状態が下降し始め、一緒に練習する機会も減ってきていました。
 妻が練習相手になってくれないので、私は自分で相手を探さざるを得ず、そういう中でブログを通して知り合った立野Bさんやつじまるさんと練習したり、都内の卓球教室に通うようになっていきました。
 妻も練習をしたそうな顔をしていましたが、肩が痛い、腰が痛い、足が痛いと具合がひたすら悪いようで、 元気だったあの頃が嘘のような有様になっていました。
 そうこうしているうちに体調はますます悪化していき、会話のほとんどが体の不調に関する事ばかりになり、卓球はおろかちょっとした運動でさえ苦痛の様子でした。

 私は今でも思い出すのです。
 暑い夏の日に公園内卓球場前のベンチで待ち合わせておにぎりを食べた後に練習したこと、 多球練習のために虫取り網を2人で抱えて公民館に通ったこと、国際卓球のGWセールに気合いを入れて開店前に並んだこと、などなど。
 私が卓球を一生懸命やろうと思ったのも、妻とまともに打ち合いたい、そんな単純な動機だったように思います。
 いつかは妻より上手になって見返してやるのだと。
 結構低い志だったのですね。
 結局最後までそれは達成できず、いつまで経っても追い抜くことは出来ないままでした。

 妻と最後の練習をしてからも、私は1人練習を続け、少しは上達したと思います。
 もし今あの頃の妻と試合をしたら勝てるのでしょうか。
 良い勝負をして、結局最後は負けているような気がします。
 考えて見たら、妻と打てさえすればそれで満足だったのだなと、今更ながら思います。

 卓球に引っ張り込んでくれてありがとうと、もっとちゃんと言っておけば良かった。
 




 あ、今度久し振りに妻と練習に行ってきます。
 長かった四十肩も痛みがほとんど無くなったようだし。
 良かった良かった。
 健康って、本当に大事ですね。